井上陽水
井上陽水の生まれは福岡県稲穂郡(現在は飯田市)です。生年月日は1948年8月30日で本名も井上陽水ですが、いのうえあきみと読みます。

実家が歯医者をしており、親の期待を背負って歯学部を目指しましたが、いくら納入しても推薦で入学できないほど勉強はできなかったそうです。わたしは2浪目に九州英数学館に入学したのですが、井上陽水も同学館に2年間在籍しており、館長は入学式でいつもその話をするそうです。

ちなみにわたしはソウウツ病と診断されて医学部に進学しようと思い立ち、医学部なら九州大学が当時一番でしたので、博多へ行きました。しかし、高校時代は国公立文系のクラスでしたので物理と数Ⅲが全くできず、このままだとまたウツになってしまうのが怖くて6月に文系に戻りました。

現役では東京大学文Ⅲを受験して一次は合格したのですが二次で不合格となり、1浪目は一橋大学社会学部を受験したのですが二日目に電車を乗り間違えて試験を受けられず不合格となりましたので、3浪だけはしたくありませんでした。6月に行われた九大模試でダントツのトップを取り、英数学館の授業は河合塾と違って全然面白くないので炉辺焼き屋で大学生と偽ってバイトをしていました。年が明けてから、受験に取り組もうとマスターに謝って退職しました。九大文学部と東京外国語大学英米科を受け、両方とも合格したのですが、東京の人混みに嫌気が差し、博多が大好きでしたので、九大に入学しました。館長が東外大英米科に入学していたらいい宣伝になるのにとを怒っていたそうです。

閑話休題

井上陽水は歌手活動を始めたとき(1969年)には、アンドレ・カンドレ(又はアンドレ・マンドレ)という名前でした。RKB毎日放送の、あるラジオ番組に自宅で録音したカセットテープを持ち込みました。同番組は視聴者からのはがきの数の多さでアマチュアのアーティストの曲を流すというシステムだったそうで、アンドレ・カンドレは数多くのリクエストを受けましたが、大半は友人(主に浪人仲間)にはがきを配ってリクエストを出すよう指令したためのものでしたそうです。

1972年、芸名を井上陽水と改め、「人生が二度あれば」をリリースしました。この歌は亡くなった父親と子供のために年老いた母親を唄ったものです。

5月25日にファーストアルバム『断絶』(オリコン8位)をリリースしました。このアルバムから井上陽水は売れ始めます。井上陽水自身は売れた理由として『陽水ライヴもどり道』のジャケット内自筆原稿で「おりからのフォークブームでなんとなく浮上」と書いています。

同アルバムに収録されている「傘がない」が音楽評論家に注目されます。

わたしはこのアルバムも持っていたのですが、転居の際『氷の世界』を残して後は全部捨ててしまいました。

1973年のシングル「夢の中へ」が初のヒット曲となります(オリコン17位)。

同年7月1日にセカンドアルバム『陽水ライヴもどり道』(オリコン2位)を発表します。このアルバムも捨ててしまいましたが、どうしても欲しくなり、800円とちょっと高かったのですが市内の店で購入しました。

このアルバムは1973年4月14日に厚生年金小ホールで開催されたステージをLP化したものです。

収録曲は「夏まつり」「いつのまにか少女は」「紙飛行機」「あかずの踏切り」「たいくつ」「人生が二度あれば」「帰郷(危篤電報を受け取って)」「感謝知らずの女」「愛は君」「東へ西へ」「家へお帰り」「傘がない」「星(終わりのテーマ)」「夢の中へ」です。

陽水はA面の「家へお帰り」「傘がない」「星(終わりのテーマ)」「夢の中へ」はフォークギター1本で弾き語りをしています。B面の「感謝知らずの女」「愛は君」「東へ西へ」ではエレキ、ベース、ドラムが伴奏しています。「家へお帰り」「傘がない」「星(終わりのテーマ)」は再び弾き語りです。会場の拍手に迎えられて「夢の中へ」を会場の拍手を受けながら歌い上げます。

「いつのまにか少女は」と「紙飛行機」の合い間に面白いにMCが挿入されています。

「季節がら今は入学、卒業のシーズンなんでしょうね。え~新宿駅を歩いていますと、つまり成人の日でもお正月でもないのに、着物姿の女の人のふたり。(会場から微かな笑い)なんかこう、胸にこみ上げてくるものがあるんですね、ああいうのを見ると。(会場から失笑)え~女の人は、ぼくはホントに思うんだけもど、なんで男に産まれたんだろうと思うわけね。(会場から失笑)絶対女の人がいいもん。(会場から大きな笑い)ホントに。(会場から拍手)」

「私が行った中島みゆきのコンサート」に書きましたが、やはり小ホールはいいです。キャパが100人以下だと一体感があります。

「人生が二度あれば」の歌の前には亡くなった父親のことを語っています。私は感情移入か激しく、このMCを聞いてつい落涙してしまいました。

ジャケットの内側には「井上陽水 うれいの年表」と表題をつけて、誕生から25歳までの出来事や想いを自筆で書いています。


さて、井上陽水が爆発的に人気が出たのがサードアルバム『氷の世界』(1973年12月1日発売)です。このアルバムは日本初のLPミリオンセラー・アルバムとなり、この記録は未だに破られていません。
当時の日本人アーティストの作品としては珍しく、ロンドンでレコーディングされました。

もちろんオリコン週間1位で、1974度及び1975年度の年間1位を獲得しています。また、オリコンのLPチャートでは5度も1位に返り咲くという珍記録を持っています。

A面1曲目の「あかずの踏切り」は作曲が星勝で、ライヴ『もどり道』とは違うアップテンポなメロディになっています(ライヴ盤は井上陽水作曲)。

以下、「はじまり」はバラードで「あかずの踏切り」とメドレーになっています。3曲目の「帰れない二人」はスローバラードで忌野清志郎との合作で、シングル「心もよう」のB面に収録されています。

4曲目の「チエちゃん」は明るい曲調ですが亡くなった少女の歌です。行きつけのスタンドにちえちゃんというホステスがいたので、この歌を披露するとちえちゃんとチーママから不評を買った覚えがあります(笑)。

5曲目の「氷の世界」はアップテンポでハーモニカとコーラスの編曲が素晴らしいです。井上陽水の代表曲でコンサートではいつも歌われるそうです。6曲目の「白い1日」は
小椋佳の作詞でスローテンポのバラードです。小椋佳もコンサートの中ではこの曲を披露しています。A面最後の「自己嫌悪」は”めくらの男””病いの男””眠れぬ男””歌えぬ男”をそれぞれ歌ったフォークソングです。

B面1曲目には1973年9月21日にシングルカットされた「心もよう」(オリコン7位)が収録されています。
井上陽水の代表曲で皆さんもご存知でしょう。この曲にはエレクトリック・バスを細野晴臣が担当しています。2曲目は「待ちぼうけ」彼女を家に招待する前の出来事をコミカルに歌っています。3曲目は「桜三月散歩道」という歌で、曲の途中で語り口か挿入されています。

4曲目の「Fun」はスローテンポで沈み込んでいる彼女を慰める歌詞になっています。5曲目の「小春おばさん」は名曲で、か細い歌い方をしていますが、サビの部分では熱唱しています。最終曲の「おやすみ」はアルバムの締めくくりにふさわしく”深く眠ってしまおう””みんな終ってしまったから”と歌っています。

歌詞は難解と謂うよりぶっ飛んでいます。意味不明な歌詞が多いのが特徴です。


星勝はほとんどの曲で編曲を担当しており、彼の才能がミリオンヒットとなった一因とも言えます。

また、井上陽水の歌声は他の追随を許さないほど美声で、吉田拓郎が「おれに陽水の歌声があればなぁ」と嘆息したそうです。