吉田拓郎
私が中学生の頃(1970年代初頭)、毎週土曜日の午後2時からテレビで1時間「たくろうちゃん」という番組が放送されていた記憶があります。生ギターをかかえて「古い船を動かせるのは古い水夫じゃないだろう」、「イメージの詩(うた)」や「今日までそして明日から」などを歌っていました。当時たくろうは「広島フォーク村」というグループのリーダーをしていました。広島県にそういう住所があるのかと探した人もいるそうです(笑)。

メンバーから「中国地方だけでなく全国区でデビューしろよ」と言われて、「結婚しようよ」(1972年1月21日発売)を引っさげて上京し大ヒット曲となり、フォークの先達となりました。

この「結婚しようよ」は当時小室等のグループ[「六文銭」のボーカルだった四角桂子への求愛歌です。目出度く結婚できましたが間も無く別れて、歌手としてデビューしましたが余りにも下手さにお笑いタレントとして活躍している浅田美代子と結ばれました。しかし、またも別れて、女優の森下愛子と結婚して今も続いています。

産まれは鹿児島県で生年月日は1946年4月5日、両親が離婚して母に連れられて広島に転居し広島商科大学(現在の修道大学)を卒業しました。

デビュー当初は「よしだたくろう」と名乗っていました。

スタジオ・アルバム32枚、ライブ・アルバム13枚をリリースしています。

私はデビューアルバムの『青春の詩』セカンドアルバム『人間なんて』サードアルバム『元気です』『御伽草子』『今はまだ人生を語らず』のアルバムを持っていましたが引越の際、『今はまだ人生を語らず』だけを残して処分してしまいました。

5枚の内『元気です』がベストだとは思ったのですが、あいにく転居する際に100枚以上あったアルバムの整理で誤って捨ててしまいました。このアルバムは1972年7月21日に発売されたのですが、オリコンで週間1位を取り、1972年度2位、1973年度4位のランキングをつけています。どうしても欲しくなり、山口市まで車を飛ばして買いに行きました。周南市にあたジャンクショップでは1枚105円だったので、財布の中には500円しかありませんでしたが、4枚は買えるなとほくそ笑んでいました。ところ山口市のジャンクショップでは帯付きのアルバムなどは1200円もして、心配になりましたが、『元気です。』は帯もついておらず傷も若干あるので500円でいいと店長さんから言われてほっとしました。

このアルバムには「旅の宿」「たどり着いたらいつも雨降り」(モップスに提供)などが収録されています。「旅の宿」はシングルカットされオリコンで週間1位を取りました。たくろうのシングル唯一のオリコン1位です。

4枚目のアルバム『御伽草子』も名盤で、「御伽草子」「蒼い夏」などの名曲が収録されています。先日、いつもお世話になっている先輩から無料で譲ってもらいました。「春の風が吹いていたら」の曲では当時の奥様よしだけいことよしだたくろうが交互に歌っています。

『今はまだ人生を語らず』には森進一に提供した「襟裳岬」かまやつひろしに提供した「シンシア」の他「ペニーレインでバーボン」など12曲が収録してあります。

ペニーレインは表参道に実際あるお店で、私は浪人時代捜し当ててバーボンを呑みました。あいにくお昼だったのでお店にはお客さんは私一人しかいなくて、マスターと話をして拓郎の裏話も聞きましたが、もう40年も過ぎたので話の内容はあいにく覚えていません。ただ、拓郎を中心にフォーク界のアーティストやアレンジャアー、演奏家などが集まっていたらしいです。

聞いた話によると、この曲は放送禁止になったそうです。「つんぼ」が差別用語でだからという理由で。私はこれはおかしいと思います。歌詞にはこうあります。

テレビはいったい誰のためのもの 
見ている者はいつもつんぼさじき
気持の悪い政治家どもが 勝手なことばかり言い合って
時には無関心なこの僕でさえが 腹を立てたり怒ったり

つまり、「つんぼさじき」というひとつの
単語なわけです。goo辞書をひくと、「江戸時代の劇場で、正面2階桟敷の最後方の席。舞台に遠く、役者のせりふがよく通らないところからいう」と「関係者でありながら情報や事情などを知らされないこと」とあります。

前後の文脈から
解釈すれば後者です。それなのに、歌詞を解釈せずに単に「つんぼ」という言葉を差別用語だからという理由で放送禁止にすることに私は異議を持つわけです。

寧ろ「つんぼさじき」の後の歌詞に問題があると政治的意図を感じます。

最近私はつくづく、生き辛い世の中になってきたなと感じています。「表現の自由」がどんどん損なわれています。



1975年5月より「よしだたくろう」から「吉田拓郎」と名乗りはじめました。

2009年7月8日の大阪公演開始45分前に、体調不良で公演は中止となりました。診察の結果、慢性気管支炎の悪化で約2週間の自宅療法をおこなうこととなり、福岡、広島、神戸の3公演は中止となりました。

2006年のつま恋コンサートで、スペシャルゲストとして中島みゆきが登場しました。吉田拓郎がギター1本で「永遠の嘘をついてくれ」の1番を歌いました。その後フルオーケストとなり、舞台の袖から中島みゆきが登場しました。スポットライトが当たるまで、観客は誰であるか分からず沈黙していました。拓郎との対談で中島みゆきは「歓迎されてないのかな。帰ろうかな」と思ったそうです。スポットライトが当たると一斉に拍手が起こり、中島みゆきは笑顔で「永遠の嘘をついてくれ」の2・3番を歌い、4番では拓郎とデュエットしています(YouTubeにあります)。

嘘か本当か分かりませんが、いつもジーパン姿の中島みゆきがスカートを穿いて、よしだたくろうの楽屋を訪ねたという噂があります。