大学卒業後
1974年、美雪は大学を卒業すると帯広に帰り、父の産婦人科を手伝いながら音楽活動も続けます。

産婦人科という生命の誕生、そして時には死産を体験することが美雪には大きな糧となったことは想像に難くありません。実際、この時の体験がなければ書けないような歌(例えば『誕生』など)が中島みゆきにはいくつかあります。

音楽活動のほうはわざわざ札幌に出向いてライヴ活動もしました。私の手元にはその中の一つのコンサートを収録したミニ・ディスクがあります。札幌の友人がダビングしてくれたもので、私にとっては宝物です。PPMの歌に混じってファースト・アルバムに収録されている曲や未発表曲を美雪は歌っています。ギターのみの演奏ですからアルバムとは違う初々しさがあります。曲と曲の間のおしゃべりは後の「オールナイト・ニッポン」を彷彿させる軽妙かつ自虐にあふれています。

1975年、地元のアマチュア・アーティストばかりが参加する「ヤングフェスティバル」に美雪も出演します。会場は帯広市のファッションタウン「ペル」の二階でした。出演者は三人と一組。観客は約60人。美雪はトップバッターで登場して『町へお帰り』など数曲を歌います。

この頃美雪は、ヤマハから「ポピュラー・ソング・コンテスト」(略称「ポプコン」)に出場することを勧められます。しかし美雪はそれを断ります。「歌はコンテストなどで競い合うものではない。歌の価値は賞を取るか取らないかで決定されるものではない」とおそらく考えたものと考えられます。

断ったはずのヤマハから手紙が来ます。その手紙の内容には二つの説があります。一つは「賞が欲しいのなら出ないでください」という内容で、もう一つは「賞が欲しくなかったら出場していただなくても結構です」という説です。

中島みゆきは多くのインタビューでデビュー前のことに答えていますが、この手紙のことに触れたこものを私は見たことがありません。いわゆる俗説であって、手紙が来たことは事実であるとしてもその内容はわかりません。

いずれにしても美雪はポプコンに出場することに決めます。5月18日、つま恋エキシビションホール(静岡県掛川市)で開催された「第九回ポプコン本選会」で美雪は『傷ついた翼』を歌い、入賞します。

9月25日には『アザミ嬢のララバイ/さよならさよなら』でついにプロデビューします。

10月12日に行われた「つま恋本選会」では『時代』を歌ってグランプリを受賞します。

11月15日に開催された「世界歌謡祭」で同じく『時代』でグランプリを受賞します。


これからはプロとして活動してゆきますので、バイオグラフィはここまでで終わりとします。


羊蹄山
北海道無料写真素材集 DO PHOTO」より