中島みゆきが高校生になるまでに3度引っ越しをしたことは、バイオグラフィに書きました。
この引っ越しが中島みゆきの精神形成に大きく関与していると私は思います。
特に幼稚園の年長組の時、北海道最大の都市・札幌から日本海に面した海辺の小さな町・岩内に引っ越したことは中島みゆきの原点を形作る大きな要因になった事は想像に難くありません。
一般に「転校生」には二通りあります。
自らをピエロに化してクラスに溶け込むタイプと友達の一人もいない状況にじっと耐えてクラスの誰かが話しかけてくるのを待つタイプです。
中島みゆきは後者のタイプだっとと推測します。
岩内に引っ越した中島みゆきは友達もおらず、浜辺で独り遊びをしていたのではないでしょうか。それはファースト・アルバムに収録されている『ひとり遊び』に歌われている情景です。
一人遊びをすることは必然的に自らと話す内省的な性格を形作ることになります。
中島みゆきは冬には豪雪で一週間も鉄道が止まるという「陸の孤島」で小学校5年生まで過ごしました。
大都会・札幌に留まっていたと仮定すると、歌手中島みゆきは誕生しなかったかも知れません。
淋しいそして往々にして荒れ狂う日本海に面した小さな町で幼少期を過ごしたことが中島みゆきの原始的精神形成の上で大きな役割を果たしたと思います。
中島みゆきは作家、村松友視氏との対談で岩内で通っていた小学校では「赤灯台」という名前の詩集が定期的に発行されていたと述べています。
「赤灯台」とは岩内の岬の先に実際赤い色をした灯台があったことから名づけられたそうです。
中島みゆきはその対談の中で詩集「赤灯台」については、むしろ話を避けるようにしています。
私が邪推するに中島みゆきはその詩集にいくつもの詩を投稿していたのではないでしょうか。
誰しもそうですが、小さい頃のでしゃばった行動を大人になってすごく恥じるものです。
中島みゆきは今でこそ素晴らしい歌詞を書きますが、当時の詩は中島みゆきにとっては「赤っ恥」なのでしょう。
さて、私が小学校の大半を大都会ではなくひなびた海辺の町で過ごしてことがよかったというのは、あくまで想像上ですが自由奔放に育ったのではないかと思うからです。
一般に都会の子と田舎の子の大きな違いはその感受性です。
大都会には自然はありませんが刺激は沢山あります。
田舎は自然しかない上刺激もありません。
これは成育環境として、特に幼少期においては大きな違いです。
自然がなく刺激が多い都会では享楽的になり自己を見つめる目が欠けがちになります。
一方、刺激もなく自然しかない田舎では自然の不思議さ、偉大さに気付き自己を見つめる目が養われることが多くなります。
中島みゆきは岩内に於いて、友達もおらず大自然の中でひとり遊びをすることで内省的な性格を培ったのではないかと推測します。
それは、陸の孤島になる厳冬において最も顕著になったでしょう。
大都会で育ったとしたら周りの刺激に引きずられて内省することもなく、平凡な一市民になっていた可能性はあります。
また、人情という面でも、大都会と田舎では雲泥の差があります。
みゆきは岩内で周りの人たちからも愛情をたっぷり注がれて育ったのだろうと思います。
それと同時に『彼女の生き方』に見られるように「大人」のいやらしさ、ズル賢さも嫌というほど見てきたのでしょう。
小学校6年生の時に、帯広に引っ越し1度は短期間母の実家に移り住みますが、高校卒業まで帯広で暮らしました。
帯広といえば、大きな平原地帯でここでもみゆきは自由を満喫したように思えます。
ただ、岩内で「独りぼっち」に慣れてしまったのか、柏葉高校では授業には余り出席せず、帯広川の土手でぽつんとしている事が多かったということです。
高校生といえば、一番感受性が強くいろいろと思い悩む時期です。
みゆきも帯広川の土手でいろいろと答えの出ない考えを思い巡らせていたのでしょう。
これらの原点があって、歌手中島みゆきが誕生したと私は考えます。